伝説の忍者、ここによみがえる。
徳川家康の天下取りを陰で支えた7 人の忍。
天文11(1542)年三河国生まれ、473歳。「大半蔵」こと服部半蔵正成。徳川十六将の一人として、数々の戦いに参戦。「家康の陰に半蔵あり!」と言われた。「伊賀越え」の武勲で、伊賀忍者の頭領になった伝説の忍者。
大永7(1527)年伊賀国生まれ、489歳。歩行術、遁走術を得意とする。戦えば、鉤爪(かぎづめ)を自在に操り、狼のように勇猛に躍動することから、「鉤爪の白狼(はくろう)」と呼ばれている。
永禄8(1565)年伊賀国生まれ、451歳。人懐っこい笑顔と、すばしっこい身のこなし。敵を煙に巻くことから、いつしか「道化(どうけ)の三平」と呼ばれるようになった。苦無(くない)や忍者刀を使った接近戦を得意とする。
永禄(1564)年三河生まれ、452歳。傀儡(かいらい)の術に長け、巧みな造り話で相手を意のままに操る。流暢に紡がれるその言葉は、聞く者たちを楽しませ、時に恐怖へと陥れる。武術を得意とするが、本当は戦いを好まない。
永禄10(1567)年伊賀国生まれ、449歳。幼い頃より武術を叩き込まれ、「肉体こそ最大の武器」と豪語する武闘派。舞踏(ダンス)を心から愛し、鍛錬を怠らない。炎のような熱いハートと、優しい心をあわせ持つ。
永禄3(1560)年山城国生まれ、456歳。人並み外れた身体能力から、彼の姿を見た者は少ない。ゆえに「月影」と言う。体術、蹴り、忍び鎌を得意とし、名古屋城の金シャチを住処とする。
慶長5(1600)年、ウィリアム・アダムス(三浦按針)と共にリーフデ号で来日。忍術に魅せられ、半蔵の配下となる。空が好きなことから“SKY”と呼ばれていたが、家康公より「天(そら)」という名を拝命。格闘術の天才。
愛知県にゆかりのある服部半蔵を中心とした6人の忍者集団。
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